約束の地に導かれて  T・Hさん  その2

 2007年4月、再び約束の地「松原」へ帰ることになりましたが、子供達は昔の友達がいる学校へ行きたいという希望がありました。以前に住んでいた所には住むことができず、間取りや学校のことを考え、たまたま商売してい会社の近くのマンションに住むことにしました。引っ越し先では、Eさんがお手伝いに来てくれて「戻って来られてよかったですね、本当によかったですね。」と言ってくれました。マンションからその会社を眺め、「人間万事塞翁が馬」ってこういうことかな、としみじみ思っていました。

  マンションに住んでしばらくして、二男が野球をまたやりたいという話になりました。教会でちょうどソフトボールのチーム『フレッシュウィンズ』を作って頂けることになり、中村先生やUさん、Yさん、Hさん、Tくんと一緒に、コーチとして参加させてもらいました。土曜日の早朝、大和川のグランドに行っていたことが懐かしく思い出されます。

 ちょうどこの頃、妻が家を松原に買おうとしきりに言いだしました。私の方はとりあえずいろいろ見てみるかと、軽い気持ちで家を探していましたが、ある場所の戸建てがよさそうだと、妻が積極的に話を進めはじめました。そろそろ決めないと、というタイミングで、妻の親戚が松原に土地を所有していることがわかり、買ってくれないかという話が持ち上がりました。そこなら注文住宅を建てられるし、なによりも妻と子供たちは、教会の近くの通りに家を建てられると喜んでいました。 話がトントン拍子に進み、地鎮祭を行うことになったのですが、喜んで野口牧師先生がやってくれるということで、キリスト式地鎮祭をお願いしました。日本酒ではなくワインを撒くということで、赤ワインで土地を清め、その日からT家の聖地となりました。

 

 その後、家の教会が始まり、私は妻の所属していたT牧場に、ゲストとして参加させてもらいました。T牧場はゲスト参加の人も多く、またOママを始めとして、料理が上手な方が多くいます。おいしい料理と楽しい仲間につられて、妻とともに楽しく参加させてもらいました。また、Tさんにはゴルフも誘ってもらい、OパパやMさんのご主人、Kさんのご主人、Iさんと何度かご一緒させていただきました。

  2014年1月に、再び中国へ行ってほしいと会社から打診がありました。正直言って、大阪での仕事、充実した週末に満足していた私は、今更空気の悪い中国へ赴任するのはいやだなと思いながら、結果的には断ることができずに、4月より赴任することになりました。T牧場では、壮行会を開いていただき、皆さんに寄せ書きやみことば、励ましを頂きました。

 赴任した直後よりどんどん円安が進み、一時1ドル=125円という円安の中で、日本をメイン顧客としていた中国法人の業績は下がっていき,仕事ではストレスのたまる毎日でした。それでも週末はゴルフや水泳など運動をしてストレス解消していたのですが、2015年9月の連休の期間のことでした。手の先と足の先が痺れ出し、歩行するのも違和感を覚えました。脳梗塞で倒れて亡くなったり、半身不随になったりした駐在員を見てきた私は、大変不安になり、すぐに病院で検査を受けました。次から次へと大きい病院を紹介され、脳のMRIやCTをとりましたが、なかなか原因がはっきりしません。結果的には、頚椎・腰椎の椎間板ヘルニアという診断でした。むこうでの治療は、針、吸い玉カッピング、首や腰の牽引をしてもらいましたが、なかなかよくなりません。運動もできなくなり、週末は朝から洗濯をしながらTVを見て、酒を飲んで過ごすようになり、夜もよく眠れないようになりました。

そういう状況の中、弟の奥さんが癌でステージ4だと妻より知らされました。なにも弟を助けてあげられなくて非常に苦しい思いで、毎日仕事をして、夜は、LINEが中国では禁止になってしまったので、WECHATというアプリを使って妻に愚痴を聞いてもらっていました。愚痴を聞いてもらっても、次の日のことが不安でますます夜眠れなくなっていきました。

 

妻がその当時送ってくれたみことばの一つに

『神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものは全て与えられます。明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日、その日に十分あります。(マタイ6章33.34節)』

があります。自分の力だけで、会社での地位を築いてきたと思っていた私は、そんな苦しい思いをしたことがなかったので、妻の送ってくれたみことばに励まされました。

『わたしは苦しみのときに彼と共にいて彼を救い彼に誉れを与えよう (詩篇91章15節)』  

 赴任する直前のT牧場の壮行会でOママが書いてくれたみことばです。赴任先の部屋に飾っていましたが、このような苦しい思いをしていなかったら、声に出して読み上げることはなかったと、今は改めて思います。

 

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