約束の地に導かれて  T・Hさん  その3 

 昨年の4月に大阪に戻ってきた私は、妻の勧めるままに教会に毎週行くようになりました。ただ、旧約聖書の創造論がどうしても理解できないので、なかなかクリスチャンになるのは難しいと思っていました。「聖書について学びませんか」とTさんに言われた時に、私が理解できるかなあと思いましたが、とりあえず一度まじめに学んでみようと思い、野口先生とマンツーマンでの学びがはじまりました。野口先生は、聖書初心者の私に、時にはユーモアを交え、時には外人の書いたアカデミックな本を引用して、時には坊さんがクリスチャンになった例をあげて、聖書を科学的に、また歴史をひも解きながら、教えてくださいました。またキリスト教のことだけでなく仏教やイスラム教など他の宗教についてもわかりやすく、教えてくれました。ただクリスチャンになるには、なにか奇跡的な神の御業が自分に起こらないとなかなか難しいなあと感じながら、学びをしていました。

そんな私にとって1つのきっかけとなったのは、今年の1月末に弟の奥さんが癌で亡くなったことでした。連絡を受けてから、弟や甥姪にかけてあげる慰めの言葉を探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。そんな時、牧師先生がホスピスに勤めていた方が書いた本を貸してくれました。そこには、死と向き合う患者との関わり方を通じて、死が永遠のお別れではないということが書かれていました。自分の言葉でうまく姪たちに慰めの言葉が言えず、その本の「お母さん」について書いてあった箇所を「ここ読んでみて」といって手渡しました。姪は読み終わると「ありがとう」と言って本を返してきました。私もお通夜からお葬式、火葬場で骨を拾うまで、改めて「死」について考えていました。

  学びでは、イエス様が人間の罪のために十字架にかかり死に、死から3日目に復活されたという箇所を教えてもらいました。なかなか信じがたい話ではありましたが、ペテロをはじめとした弟子たちが、イエス様の復活を命を懸けて伝道したという聖書の話を学びました。もしこの話が神話とか作り話であったなら、弟子たちは命を懸けて伝道するだろうか?そう思うとやはりイエス様は信じるに値するのか?私の中に、少しずつ変化が現れてきました。

  2月26日に中村忍先生が「心を騒がしてはならない」という主題でメッセージを語ってくれました。「あなたのためにはいのちもすてます」といったペテロに対してイエス様は「あなたは三度私をしらないといいます」とペテロの失敗を予告します。そして「心を騒がしてはなりません」と弟子たちに言います。忍先生ご自身の自動車工場での失敗経験を通して、例え失敗しても全力でトライすること、同じ失敗をしない為に学び悔い改めること、何度失敗してもあきらめずチャレンジすることを示されました。礼拝後の決心の祈りの時に、失敗してもチャレンジできるように、早くイエス様を信じることができるようにと、祈ってもらいました。

  3月5日の学びの時、「聖書の教えのすべてを理解しているわけではないですが。大丈夫ですか?」と確認する私に、「日々の信仰生活の中でもっと学んでいけばいいんです。」との牧師先生の言葉に後押しをしてもらい、ついに信仰告白をしてしまいました。

  思っただけでも罪になるのであれば、妻に対して、子供たちに対して、両親に対して、罪はたくさんあります。一番の罪は、「信じられるのは自分だけ」という生き方をしてきたことでしょうか?

 

 思えば、1967年に生まれたこと、87年に関西の大学に入学したこと、07年に再び松原に帰ってきたこと、そして17年に洗礼を受けることになったこと、西暦の末尾7の年は私にとって聖霊様がよく働いてくれる年なのでしょうか? さらに、キリスト教に縁のある赤十字の看護学校へ通っていた妻との出会い、ルカに由来する聖路加病院で長男が生まれたこと、二男がジョイファミリー幼児園でお世話になったこと、妻、長男、二男が洗礼を受けてクリスチャンになったこと、すべてが神様の計画のうちだったのでしょうか?

信仰告白をして、罪を赦してもらうと、自分だけを信じていた時にはなかった、安心感がうまれました。神に従って生きていくのだから、今までの自分から悔い改めないといけないという自覚も芽生えました。49年間信じることができずにいた私が今、こうして洗礼をうけることになったこと本当に感謝します。

  クリスチャンになって一番したい奉仕は、実は、伝道です。まだまだ学んでいくことは多いのですが、年老いた両親にこの福音を伝え、永遠のいのちを持ってもらいたいと思っています。