信仰生活と仕事  Y・Kさん

 

■現在のお仕事は?

 誰もが知っている魚型の醤油入れを製造している会社に勤めています。これは『ランチャーム』と呼ばれている製品で、ランチをチャームイングにという意味が込められています。月に2000万個弱は製造するので、機械に合わせて動かないといけないので段取りが非常に重要で、いかにロスを少なく充填できるかが腕の見せ所でもあります。

 

 管理職となって仕事量が増え、体がしんどくなり、霊的にも落ちていた時に、野口先生のメッセージから、人に委ねることも大事で、責任を持ちつつ若い子を育てていくことのチャレンジを受け、実践していきました。すると仕事がスムーズ行くようになり、仕事おいて大きな壁を乗り越えてきたように思います。

 

 

■どのように今の仕事に導かれましたか?

 大学受験がうまく行かず、とりあえず金属関係の仕事をしたものの、学生の時に野球部に属していたこともあり、人を癒すことの出来る仕事に就きたいと思い、東洋医学を学ぶために指圧の学校へ行き始めました。卒業後もその師匠の弟子となり、その師を慕って有名な方も治療に来られていましたので、指圧等の勉強がかなりできたと思います。その時の師は、浄土真宗の住職さんなので、「人を癒すには宗教が必要」と語り、「心と体のバランスがとれないと健康にはならない」と言われましたが、当時は意味がまったく理解できませんでした。それがわからなかったのは創造主なる神様の存在がわからなかったからです。その後に教会に導かれたのは、きっかけは奥さんだったけれども、高校の時の野球部の経験や指圧の勉強を通して救いの土台が既に形成され、聖書のメッセージから自分と神様との関係が直接つながったから受洗へと導かれたのだと思います。

 その後、指圧院を開業し、最初はたくさんの方が来院くださりましたが、他の整骨院が安く設定していることもあり、売上も少しずつ減りました。が、自分が仕事をして、お客さんから「ありがとう」と言ってもらえる仕事を感じた時、すごく嬉しくなり、本当の自分の仕事と思えました。

しかし、信仰を持って間もない時でしたので、日曜も仕事となり、野口先生や中村先生、ヤングJのメンバーには心配をおかけしたように思います。だから夕方のビデオ礼拝に出席することを約束して、仕事が終わったら橋本から松原へ戻ってきて夕方の礼拝に出席しました。その時ヤングJのメンバーが夕方の礼拝に一緒に出てくれて、その思いがとても嬉しく、そして何か申し訳なく思っていました。皆さんに支えられていることを感じ、自分にとって公の礼拝を一番に大切にしたいと思うようになり、店を閉める決断をしました。辛い決断でしたが、自分のしたいことより、神様を優先した選択をしたことが、今の仕事に結びつき、自分にあった仕事に導かれたと思います。