神様に選ばれていた (M・N)

 私がはじめて教会と関わりを持ったのは4歳頃の事です。当時は大阪市M区の団地に住んでいました。その頃いつも遊んでいたお友達がある日を境に急に公園に来なくなりました。母にたずねると「幼稚園に入園したみたい」と言いました。お友達はみんな三年保育で入園してしまったのです。私ひとり残ってしまい、毎日母に「私もどこかに行きたい」と訴えていたところ、近くの教会でやっている日曜学校を貼り紙で知り、行くようになったのがきっかけです。

 そこはこじんまりした一軒家の教会でした。日曜学校といっても、普段は牧師先生の息子さんふたりと私、そしてもうひとり位の少人数です。紙芝居を見たり、カードゲームをしたり、こどもさんびかを歌ったりと、毎週楽しかった記憶があります。中学校に入学したあたりまでは、続けて通っていました。そのうち、クラブ活動の試合や練習が入るたびに途切れだし、そのうち「日曜学校があるからクラブに遅れる」と伝える事も、「クラブがあるから日曜学校をお休みする」と言うことも、どちらも億劫になり、結局教会と疎遠になっていきました。

 

 私の両親は共に再婚同士で、母が40歳を過ぎて産まれた私はひとりっ子です。母は私を産んですぐに体調を崩し、リウマチという病気になりました。日々進行していくリウマチに、寝たままの日も、歩くのもままならない時もあり、体をだましだまし家事をこなしてくれていました。父はよく働く人でした。ですが、私が10歳の時に祖母が亡くなり、次第に深酒をするようになりました。アルコールで体を壊し、快活だった人柄も変わっていき、最後は肝臓と直腸がんで入退院を繰り返し、亡くなったのは私が19歳の時でした。

 そんなこんなで、結婚願望は無かったのですが、めぐり合わせがあり21歳で結婚をして、松原に引っ越して来ました。長男を産んだのは、30歳です。

 元々子供が得意ではなかった私には、子育てはとてつもなく難しく、育児書やインターネットでいろいろ調べては、毎日途方に暮れていました。インドア派で引きこもり体質の私は、子連れで出かける支度すらストレスを感じていましたが、それ以上に子供の成長や育児に自信が持てず、家にいるよりは子育て支援センター等に必死に出かけて行って、第三者の目がある場所にいる事で安心感を得ていました。

 そんななか、ベランダで洗濯物を干している時に、2軒隣のHさんに「文庫っていうのを教会でしているからおいでよ」と声をかけられたのです。その時はじめてジョイファミリー教会がある事を知りました。

 文庫のスタッフのみなさんはとても優しく親切でしたが、優しくされればされる程、自分は手助けしてもらわないといけないくらいなってないように見えるのか、と自己嫌悪に陥り、素直に言葉を受け取れませんでした。そんなある日の、文庫のお祈りの言葉の中に、小さい頃に日曜学校でよく聞いたフレーズがあり、その時自分がいま居る場所は教会なんだと改めて気づかされました。行く所がないから行っていた文庫が、毎週楽しみなものへと、少しづつ変化していきました。

 そうして、プリに通い、幼児園に入園してみたものの、生来の引きこもり体質にひとりっ子の自己完結でコミュニケーション能力が欠如している私には、お母さんたちとの交流にあまり積極的になれず、気さくに声をかけてくれることも重く感じる事がありました。そんな気持ちのくたびれた母親の元に産まれてしまった我が子が不憫だと、よく思いました。

 

 次男が入園する直前に、M区の実家でリウマチとなんとか付き合いながらひとり暮らしていた母が亡くなりました。ヘルパーさんがデイサービスの送迎に来て、見つけて下さいました。亡くなる何日か前に、母から電話があったのですが、夕飯の支度の最中だか何かで忙しくしていて、電話も話半分につっけんどんに話しておしまいでした。結局、それっきりです。あの時の、あの電話でもっとちゃんと話をしておけば良かったと、今でも悔やまれます。

 お酒にのまれてしまった父も、当時思春期だった私には到底受け入れがたく、失望の極みでしたが、今ならほんの少しだけ、お酒の力で寂しさを紛らわせたかったのが度が過ぎたのだと、理解できなくもありません。

 私は、いつも、後から気付くのです。後悔しても、戻ってやりなおせない。

何でもかんでも後手にまわり、遅いばかり。そんな自分を思い出しては嫌になります。息苦しくなると、見てみぬふりをしてきました。他の人と比べては妬み嫉み僻み。漠然といつも何かを羨んで、閉塞感を感じて疲れていきます。

 

 母の葬儀の後、すごく疲れていました。ただ、これで両親ともに居なくなった私には、無条件でほめて受け入れてくれる存在はもういないのだと思った時、それなら自分自身で自分をほめてあげられるように仕向けなければ、私自身がかわいそうだと思ったのです。

 私が楽しくなければ、きっと我が子だってつまらない。母は歩く事もままならなかったけど、私は太めですが元気で自転車をこぐのも速い。まだ、掴む藁はどこかにあると、参加を決めたのが幼児園の子育てセミナーでした。

 そうして、子育てセミナーできっかけをもらって、少しずつ取り入れて行きました。自分では、あまり変化を感じないのですが、牧師先生は「変わった」と仰います。人との関わりは相変わらず不得手ですが、自分の失敗談で誰かが笑えるのなら役に立つし、いろいろやられた我が子も報われたりするのかもしれません。そして、こういう事が分かち合いなのかもしれないと思いました。

 

 去年、長男が洗礼を受けました。幼児園に入園してからずっと、わりとまじめにJキッズに通い、ディボーションも取り組んでいます。 子供のディボーションのお話をみて、自分が小さい頃に日曜学校で聞いた紙芝居を思い出したりしていました。長男は洗礼を受けましたが、他の家族はクリスチャンではないので、中途半端な部分が気がかりでした。そうした時、牧師先生からのお声かけもあって、聖書の学びをはじめました。

 学びの中で、『無条件的選び』を知った時に、小さい時の日曜学校ではじまった関わりが今の私に繋がるのかと驚き、そうして選んでくださっているのなら、それにこたえたいと思いました。また、妬み嫉み僻みというやるせない気持ちがあっても、それが私で、その罪を背負ってくださったイエス様の事を思った時、息苦しさが薄らぎました。ふとした時に、父なる神様がいてくださると思うと、自然と感謝だなと思います。

 

 まだ戸口に立ったばかりです。いろいろとふわふわしていますが、どうぞ、お導きください。また、私や、私の家族、そして今日ここに立つに至るまでに手を引いてくださったみなさまに心から感謝を申し上げます。