父母の受洗の恵み (K・K)

 4月30日(月)、父(87歳)と母(82歳)が受洗の恵みに預かりました。私が洗礼を受けて23年になりますから、23年目の祈りの答え、またとりなしの祈りが始まって最初の祈祷課題として、父母の救いを祈っていただいてから6年目の成就でした。

不信仰な私は両親が救われるようにと祈っていましたが、受洗のためにとは祈っていませんでした。ですから今回の受洗は、神様からの一方的な思いがけないプレゼントでした。

 牧場の方々はもちろん、教会の方々、これまでとりなしのメンバーに入ってくださり、顔も知らない両親のために祈ってくださった方々には、感謝しかありません。5月6日のメッセージでも語られたように、父は死んだらどうなるのか不安なようでした。弱りゆく母の世話を通して死を身近に感じるようになり、不安で夜も眠れなかったと言います。福音を語った時は、まるで幼子のように素直に信じ受け入れました。

 父は信仰熱心で、つい最近まで毎日神棚に手を合わせ花や水を変えていました。ですから、本当に不思議です。『少年H』の妹尾河童さんとは同級生で、よく一緒に遊んだそうですが、熱心なクリスチャンであった河童さんのお母様は、息子の友達の救いを祈ってくださっていた事でしょう。父は75年も前から祈られていました。私は天国に行ったら真っ先に妹尾さんを探し、お礼を言わなければなりません。母も父と一緒に天国に行きたいと、すんなりとイエス様を信じました。

 「とりなしの祈り」は、課題を出すまでが人間のすべきことです。あとは、ご奉仕の方々にお願いし、祈っていただくだけです。願うように応えられない祈祷課題の応答、ピンクのカードに「変化ありません。」と書き続ける事は、時にしんどくなることもありますが、神様の時がまだ来ていないから・・というだけなんだなあと改めて思いました。私自身も、祈りが聞かれるどころか、ますますマイナスの方向に事が進んでいると思うこともあります。それも神様の許しの中の祈りのお答え・・、すべて益です。

 父は、今「礼拝に出たい。」が口癖です。教師をしておりましたので、人前で話す事を苦にしません。その時は、皆さんの前で救いの証をしたいようです。高齢ゆえに、お聞き苦しいかとは思いますが、ぜひお許しくださり、つたない証をお聞きいただければ幸いです。本当にありがとうございました。