「父の思い出」(召天者記念礼拝証) U・Mさん

 私の父は、2015年6月に75歳で地上の生涯を終え天に召されました。父の思い出を少しお話し致します。

 

 父はとても器用で几帳面な人でした。マッチ棒で五重塔を作ったり、たばこのケースで傘を作ったり、私の夏休みの工作を手伝ってくれたり、市営住宅に住んでいた時は、お風呂場まで作ってくれました。日曜大工、盆栽、囲碁、将棋、麻雀、パチンコ・・・何でも上手でした。私が小学生でH区に居た頃は子供会のお世話をしてくれていて、キックベースボール、ソフトボール、ハイキングやキャンプなど、私の楽しかった友達との思い出の中には父も一緒にいます。PTAの役員をしていましたので、イベントの時に父が挨拶する姿を誇らしく思っていた記憶があります。父はその頃にできた友達を大切にしていて、亡くなるまでずっとお付き合いがありました。私が中学生の時は、学校までいつも父と一緒でした。父の職場がたまたま同じ方向でしたので、毎朝、車の助手席に乗り、途中朝食にパンを買ってもらい、阪神タイガースが勝ったら大騒ぎするラジオ番組を聞きながら校門まで送ってもらいました。

 大人になってから、父みたいな人になりたいなと思った出来事がありました。親戚の家族が亡くなった時、知らせが入ると父はすぐに駆け付けました。巧みに慰めの言葉をかけるわけではなく、出しゃばってその場を取り仕切るのではなく、そっと傷ついている人のそばに黙って寄り添っているのです。そして必要な時にして欲しいと思っていることをスッとしてくれている・・・そんな人でした。

 口は悪かったです。気持ちが昂ると怒ったような物言いをしたりしました。頑固でした。絶対自分の考えを曲げようとはしませんでした。しかし、私の話はちゃんと聞いてくれて、意思を尊重してくれる父でした。孫たちが生まれると甘やかすというのではなく、大切にし、可愛がってくれました。ゲームやパズルが大好きな父は、孫たちと遊ぶ時も決して手を抜くことなく、孫たちを負かして得意そうに笑うその顔が私は好きでした。

退職した後も職場の人達と釣りを楽しみ、H区の友達とゲートボールを楽しみ、大好きなお酒を楽しみ・・・。娘の私から見ると大きな苦労もなく幸せな人生だったのでは・・・と思います。

 

 父の職場の友達が精神的に病んでしまった時、いとこのおばさんが癌で亡くなった時、父は何か助けを求めて野口牧師先生のところへ話を聞いてもらいに行ったことがありました。「70になったら教会にいくわ。」と父は言っていましたが、実際は70歳になる前から少ずつ礼拝に顔を出してくれるようになりました。

私が18歳でイエス様を救い主と信じた時、

《主イエスを信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。》使徒16:31

 このみ言葉を握って祈り始めましたが,ようやくその恵みが父にまで及ぶ兆しが見えて,とてもうれしく思いました。教会ではみなさんが父に色々と声をかけて下さったのに、シャイで頑固な父はなかなか素直になれなかったみたいです。本当はとても優しいのに上手に表に出せない父が、教会の兄弟姉妹方とどうしたら親しくなれるのかと心配したり、受洗の証なんかは緊張するだろうなぁ、どんな話を私は聞くことになるのかなと楽しみにしたり、自分の中で色々思い描いていました。

 

 元気だった父が、少し食べたものがつかえると言い出し、病院で診察を受けてから亡くなるまでは、あっという間の約一か月でした。診察の日,私は仕事が休みで実家へ行くと、父が病院に検査に行っていると母に言われました。病院嫌いの父なので「ちょっと様子を見てくるね。」と病院まで行きました。検査を終え待合でナンバークロスワード(ナンクロ)をしていた父。父はいつもナンクロの雑誌を買い、すべて解いて「応募するとテレビやDVDプレイヤー、現金10万円が当たるんやってー♪」と楽しみにしている私にくれるのでした。フリクションのボールペンを3色使ってどんどん問題を解いていく父。「このオレンジは何のしるしなん?」と聞くと丁寧に説明して教えてくれる父。小学生の時に分からない算数の問題を教えてくれた優しい父がそのままそこに居て、私はとても幸せなひと時でした。

 その日の検査結果は一週間後に出るとのことでしたが、次の週の月曜日に病院から呼び出しがあり、胃がんと診断され、入院、検査、手術となりました。術後は少し回復し、家に戻れると言われたにも関わらず容態は悪化し,ICUに入りました。とても苦しそうでしたが、まだかまだかと朝から待っていた野口牧師先生、幸子先生が来て下さり、夕方6時に病床洗礼を授けて頂きました。翌日はもうモルヒネで痛みを取るのと引き換えに意識がなくなり、次の日、家族・親族大勢の人に見守られながら天に召されました。

 

《人の心が思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために神の備えてくださったものはみなそうである。》             第1コリント2:9

 私が心に描いていた、父の賜物がイキイキと生かされ教会生活を送ることはありませんでした。父の救いの証を聞くこともありませんでした。けれど、父はイエス様の救いの恵みに入れて頂き、父の葬儀の時には大勢の方が来られ、父がどれほど多くの人に慕われていたのかを知る事ができました。親族をはじめ、きっと生涯教会には来る事はないだろうと思われる方にも福音を聞いて頂ける良い機会として用いられたのは、とてもうれしい事でした。遺された母は、娘の私には想像できない程の悲しみがあったと思いますが、神様の守りの中でなんとか日々過ごせているのは、とても感謝なことです。

 

 父はあまり教会に繋がっていませんでしたが、みなさん、どうぞ父のことを覚えていて下さい。天の御国で会った時には声をかけてあげて下さい。シャイなところ、頑固なところも取り去られて、優しさ溢れる笑顔の素敵な父になっていると思いますから・・・。