「多くの恵みの中で」(転入会の証) M・Sさん

 私が主から与えられた恵みはなんと多いものかと想いをめぐらせると、なかなかまとまらず焦りました。そんな多くの恵みを整理する中で、あえて大きく分類するならば、私の場合は家族・信仰・仕事といったところかと思います。その中でも、まず私を知っていただくにも、この松原聖書教会へ導かれたことをお証しするにも、家族を通して主が恵んでくださったことの一部を紹介させていただこうと思います。

 私の両親はクリスチャンです。父は高校生の頃に友人の誘いで牧師がいない小さな家庭集会へと導かれ、クリスチャンとなりました。その後、様々な紆余曲折の信仰生活の歩みの中で、母がいたバプテスト教会へと導かれ、互いの両親の反対をも乗り越え結婚しました。母の両親もクリスチャンでした。ですが、母が小学生の頃に父親のアルコールの問題が原因で両親が離婚。一時は教会から離れていましたが、大学生の頃に再び教会へと導かれ、私の父と知り合うこととなりました。

 

 そんな両親のもとに3人兄弟の長女として私は生まれました。結婚当初の父はまだ駆け出しの銀行員で、慣れない生活の中でも朝の6時ごろには出勤し、深夜の12時~1時の帰宅は当たり前。週末は、書斎からほとんど出てこないで仕事の勉強をしているか、接待。日曜も礼拝後は書斎でずっと勉強をしているというような生活を送っていました。そんなかいもあってか、父は順調に出世していきましたが、どんどんとストレスも高くなっていくのを、子どもながらに感じていました。父とたまに顔を合わせると、食事のマナーや勉強の仕方などよく叱られていました。時折、深夜に帰ってきた父に突然たたき起こされ、何を叱られているかもわからないまま押入に入れられたり、外に出されたりすることもありました。今なら仕事のストレスに子育てのプレッシャーなど理解できることもありますが、当時の私には“お父さん”というより、ただただ“怖い人”でした。

 母は母で、2人目の妹が生まれたあたりから特に不安定になることが増え始め、今から思うと育児ノイローゼのような状態だったのかもしれません。時々感情が爆発してしまうことがありました。普段はとても優しい母ですが、なかなか人に頼ることができず、いつもひとりでなんとか頑張ろうとするのですが、限界がきてしまうと子ども達に感情をぶつけてしまうことも多かったように思います。

 父も母もその都度言うことがばらばらで、振り回されるような生活が思春期ごろまで続きました。ただ、そんな状況においても両親は礼拝に集うことだけは続け、大切にしていました。 そんな環境の中、私はいつしか「自分なんて消えてしまえばいいのに」「時間が巻き戻って、自分の存在がなかったことになればいいのに」という考えに埋め尽くされるようになっていきました。両親からの愛情は感じてはいたので、自分が両親の期待に応えられないから両親を怒らせてしまうのではないか?自分が両親を苦しめているのではないか?という罪悪感が募っていきました。けれども、父も母も大嫌いだという矛盾した気持ちも湧き上がってきました。また、明日はどうなるのだろうという不安感など、様々な感情が混在するようになっていきました。自分でも自分がどうなっているのかわからなくなり、混乱したりイライラしたり、落ち込んだりと不安定な状態へと陥っていきました。そんなイライラを下の妹や弟にぶつけてしまう時もあり、その後に襲ってくる自己嫌悪からも抜け出せないでいました。家にいることが一番苦しかったです。

 

 そんな状況の中、両親からの影響だけではなく、自分自身の思考が内向的だったこともあって、自分の存在価値や意義を見出せず、自己肯定感を持つことが出来なかった私は、幼い頃からわらをもすがる思いで教会に通っていました。しかし、どこか両親への嫌悪感が、両親の信じるキリスト教への嫌悪感とも結びつき「イエスさまのためと言いながら、大人は自分のために信じているだけだろう」という反発心も混在するという葛藤の中で通っていました。しかし、そんな疑いを持ちながらでも、人間には不可能な、相対的でない、絶対的なイエス・キリストの愛がなければ生きていけなかった私を、イエスさまは「それでもいい」と一方的に招いてくださいました。

 その背景には、当時はわからなかったのですが、両親やいろいろな方の祈りがあったと思います。特に、反抗的な態度をとるもなぜか毎週通ってくるという不思議だった私に、ずっと忍耐強く付き合ってくださったCSクラスの先生方の祈りがあったと思います。そして、そんな先生方によってバイブルキャンプに参加でき、そこで初めて信仰の友人ができたり、メッセージの意味が少し理解できたりなど、多くのことを通して主は私を励まし、愛を示してくださいました。

 中学2年生の頃、仕事にひたすら邁進していた父がガンとなりました。すぐに手術をすることになった父に「大丈夫なん?」と声をかけると「あかんかったら天国行くやろ~」とえらく普通に言われました。あまりにも自然だったので、こちらも拍子抜けしたワンシーンを今もよく覚えています。そのとき私は、お父さんって“やっぱりクリスチャンやったんやぁ”と実感しました。父の入院中は心配する気持ちも勿論ありましたが、会いたくないという気持ちの方が勝ってしまい、一度もお見舞いに行きませんでした。父は父で、入院中にこれまでの人生を振りかえり、もしまだこの世に遣わされているなら、以前から祈っていた御心に添った働きについて示されるよう、毎日1日中祈っていたそうです。

 無事に退院できた父は、脱サラをしました。母は経済的な不安がとても強く、反対していましたが、私はそれを聞いて正直ほっとしました。これは私たち家族に与えてくださった導きだと主に感謝しました。

 それから私はすぐに高校受験となり、母の不安は強くなってしまい、進学には気を遣うこともありました。が、脱サラし学習塾を始めた父は徐々に変えられていき、経済的にも主は守ってくださいました。そして、高校2年生の17歳のクリスマスに私は受洗しました。

 

 今、この私の家族はクリスチャンとしてそれぞれの信仰生活を送っています。家族で祈ったこともありませんでしたが、兄弟3人も主に救っていただきました。よく教会からも離れずにこれたなぁと心底思うこともあります。こんなんでもクリスチャン一家。でもクリ一家です。主はこんなんでも、それでもなお私たちを招き導き、それでもなお愛してくださいました。欠けも多い家族ですが、だからこそこれほどまでに一方的に恵み、愛してもらっている家族だと、そこだけは胸を張って言えます。

 もちろんまだまだ課題もある家族です。それでも、私が家を出てから徐々に幼かったころに抱いていた父への想いを伝えることができるようになりました。父も色々と反省し、これまでどんな想いで幼い頃の私や家族に接してきたか、仕事への姿勢なども色々と教えてくれるようになりました。私も当時はわからなかったことを多く知り、また共感でき、今はやはり主を見上げ続けてきた両親を心から尊敬しています。父とは今では信仰のことや家族のことなど色々な相談ができるまでの関係になれました。これは私の力では出来なかったことです。

 

 こんな幼い頃からの自分の経験から、結婚なんてそら恐ろしいことは考えることもできなかったですし、不安や恐怖が先に立ち、望むことすらできなかったような私が、まさかの結婚を今年の春にはすることができました。私にとっては驚異的な恵みです。まさにアメージンググレースです。  これまで私は家族とは一体何なのか?なぜ神さまはこのような方法を私たち人間に与えられたのか?これはなにかの試練なのか?と、ずっと自分の中の問いとして、またひっかかりとしてありました。

 しかし、私の過度な自己否定感や自己憐憫の罪も、懸命だったけれど間違いもあった両親の歩みも、本当に全て、それら全部すっかりイエスさまが十字架にかけてくださったんだとわかった時、そのひっかかりにも癒しがあり、私も家族もまた再び新しくされていくんだという希望が与えられました。

「神さまはアダムを創ったのち、助け手が必要だと人間を思いやってイブを創られました。」

創世記2章18節

 家族とは、本当は試練でもないし、意地悪で主はこのようにしたのではないのです。私を思いやり、助け導き、栄光へと招くため、喜びをもたらすために与えてくださっていたのだということがやっと分かりました。その時、私は結婚へと踏み出すことができました。  主は人を助け手が必要なものとして創られました。主とつながってさえいれば、もうそれだけでいいんだと、すぐに自分の殻に逃げ込んでしまっていた私でしたが、関係性の中にも祝福や喜びをもたらしてくださるんだなぁと今は感じています。

 

 実家にいる時は、私は弟にもイライラをよくぶつけていましたが、そんな弟がこの松原聖書教会を教えてくれました。そして、あれやこれやとぐちゃぐちゃ考えたり、自己憐憫に陥っていたりした自分がやっと「家族は喜びなんだと」はっきりと言えるようになったとき、このジョイファミリーチャーチに導かれました。松原に来て最初に思ったのは、「週報におもいっきり“ジョイファミリー”って書いているやん!」ってことでした。

 「家族は喜びや」とわかったとか言っている私ですが、教会を探し始めるまでは色んな理由をつけて毎週礼拝を守ることが出来なかったり、結婚によって私が集っていた教会に通うのか夫の教会に通うのか決めかねていたりと、教会にはなかなか根を下ろせずにいました。ですから、結婚を期に「教会を通してしっかりイエスさまにつながっていける教会へと導いてください」と祈り始めました。そんな時に出会ったのが松原聖書教会でした。

 主は多くの恵みを通して“私は主に愛されているんだ”という自信を育んでくださいました。自分に自信が持てず、まだまだ人と関わることにも不安が強い私ですが、“わたしも、あなたも愛されている”という自信をもって、人との関係の中にも主の愛が働き、祝福してくださることを信頼し、もっともっと主に頼っていきたいです。

 これからは、私自身も家族をどのように築いていけるのかまだまだ心配もありますが、神の家族として皆さんと共に歩めることをドキドキと不安になるのでなく、ワクワクと期待していきたいです。

 

 最後に、今日ここに来るまでにも、多くの方の祈りがあったことを感謝します。特に、貴重な時間を割いて再度私の学びなおしにも仕えてくださった野口先生や、ずっと心を砕き祈ってくださっていたUご夫妻やU牧場の皆様にも感謝申し上げます。 そして、それら全ての方を私に遣わしてくださって、導いてくださった主を賛美します。