ダビデ・ブルック先生を偲ぶ

松原聖書教会の開拓宣教師であるダビデ・ブルック先生が、2015年8月に天に召されました。ブルック先生への感謝の思いをこめて、その生涯を振り返ります。

 第二次世界大戦、オーストラリアは日本による大きな災いと残虐な行為の被害に遭いました。「大きくなったら、空軍に入って日本人をたくさん殺すんだ。」日本人を憎むあまり、空軍に入って戦うことを夢見たオーストラリア人の男の子ダビデ。

 12歳の頃から日曜学校に通っていたダビデは、16歳の時に自分の犯したある罪がきっかけで信仰に目覚め、1944年に洗礼を受けました。その後、時計工見習として働いていたダビデに、1947年6月16日、主ははっきりと宣教師として日本に行くように示されました。容易には外国へ行き来できなかった時代、ダビデは1955年5月9日アデレード駅で涙の見送りを受けて、日本へ送り出されました。

 栃木県足尾銅山にあった足尾教会での働きを皮切りに、以降関東地方を中心に計26年間に亘る日本での宣教の生涯を送ることになったのです。

 カナダ人女性宣教師のドロシーとは、宇都宮のある祈祷会で顔を会わせるようになりました。初対面からお互いにひかれるものを感じていましたが、ほとんど口を交わすこともありませんでした。ひそかに思いを募らせていた二人でしたが、ダビデは祈りの中で確かに彼女との結婚が主の導きだと確信し、プロポーズの手紙を送りました。喜んでその申し出を受け入れたドロシー。1958年7月、二人は結婚。2004年にドロシーが召されるまで46年間に及ぶ結婚生活がスタートしました。二人は福島県郡山を出発点に、主に導かれて各地で日本人宣教に励みました。

 また、子どもを大好きだった二人は、長女めぐみを養子に迎え入れたのを初めとして、さらに男女各々1人の養子を迎えました。自分達に授かった男の子ピーターと合わせて、女の子2人、男の子2人の子ども4名。家族6人の温かく笑いの絶えない家庭を築きました。

 導きの中で、家族で日本を離れた時期もありましたが、1969年に再来日。主は、今度は大阪に行くように示されました。はっきりした任地も決まらないままに大阪に向かったダビデは、知人の宣教師の家に向かいました。その宣教師に紹介されたMさんより、「あなたの任地は松原です。人口10万人。小さな教会が3つあるだけで、宣教師による開拓伝道はなされていません。この地域にビジョンを持って教会を建てる人が必要です。」と宣教地をはっきり示されました。紹介された家を見学に行ったところ、何と自分の名前と同じ『小川』(brook(ブルック)は日本語で「小川」の意)という表札が掛けられているではありませんか!ダビデはその時、全て主が備えて下さったことを確信しました。  

 1971年6月13日午後、松原で第一回目の礼拝が持たれました。近所に住むSさんは週末ごとに一人猟に出かけていたのですが、ブルック先生自作のトラクトの文章が心の琴線にふれ教会へ。

 翌年10月15日、最初の洗礼式(Sさん・Oさんたち)が持たれました。その後、最後まで教会に行くことを拒んでいたS夫人も料理教室をきっかけに教会に来て、初めてのクリスチャンホームの誕生となったのです。

【ブルック先生の思い出】

Sさん:温かくて本当に尊敬できる先生でした。少しのチャンスでもすぐイエス様を伝えている姿をよく見かけました。

S夫人:主人が皆の前で黒板に書く時、漢字が分からず、ブルック先生に教えてもらっていました。ユーモアがあり、優しくて親切で気配りができるステキな先生でした。

Oさん:松原聖書センターへお誘いのお手紙を頂きました。それは日本語で一生懸命書かれたもので、とても感激致しました。こうして私の教会生活が始まったのです。

 1975年に馬場先生にバトンタッチされるまでの間に、主は多くの救われる魂を加えて下さいました。馬場先生に引き継がれる直前には20名前後の礼拝出席者が与えられていましたが、平行して行われていた教会学校には、大人以上の子ども達が集まっていたと聞きます。


 その後、ご家族はオーストラリアに帰国して宣教の働きを続けました。今から約20年前、日本の大学生・高校生への伝道を目的として、英会話授業・バイブルクラス等を盛り込んだ伝道プログラムを企画。ブルック先生がその企画を野口牧師にも持ちかけまると、野口牧師はその企画に喜んで賛同、1995年8月第1回『エンカウントアカデミー』が実施されました。

 1996年10月には、松原聖書教会創立25周年特別記念企画として、オーストラリア旅行が実施されました。一部の訪問メンバーは、糖尿病の状態が悪化する中、ちょうど70歳を迎えたドロシー夫人と病室にて再会することができました。そして、2006年10月、35周年記念でも再び教会でオーストラリアを訪問しました。

 

 ブルック先生が最後に当教会を訪問されたのは2010年2月です。

 そして、今年8月、ブルック先生は87歳で神の元に召されました。

 

  44年前ブルック先生によって開拓された松原聖書教会は、神様の恵みによって信徒活躍型教会へと成長させて頂きました。また、赤ちゃんから高齢者まで幅広い層の人が与えられています。教会が大きくなった今も、家庭的な温かさを保ち、ブルック先生ご夫妻に残して頂いた『ユーモアとあふれる笑い』という、貴重なかけがえの無い遺産をしっかり受け継いでおります。ブルック先生ご夫妻の熱い思いによって産声を上げた松原聖書教会は、これからも信仰を子ども達にしっかりと継承し、次世代の若者を育成しながら、地域に仕える教会であり続けたいと願っています。

  ブルック先生ご夫妻、期待して天国で見守っていて下さい。


                          (2015年10月 召天者記念礼拝にて)