この宮の栄光は

「この宮のこれから後の栄光は,先のものにまさる。」(ハガイ2:9)

 

 紀元前6世紀,ハガイの時代に再建された神殿は,ソロモンの神殿との比較ではもちろんのこと,後のヘロデ大王のてによる神殿に比べても小さく,見劣りのする建物であった。しかし,主はそうは見られないというのである。建物の大小,その費用の多少にかかわらず,神殿再興までの過程にこめられた信仰にこそ目を留め,価値を認められるのである。

 この松原にも,何十億もするビルがある。けれども教会員が精一杯の信仰と犠牲をもって建てる教会堂が,私には何よりもいとおしく尊く思われる。一人一人の真実な信仰のささげものの結果だからである。

 もしこの教会が,買った宝くじが当たって与えられた資金により,何の犠牲も払うことなく建つとしたら,どうであろう。そこに心から湧き上がる喜びや感動があるであろうか。そしてそこから宣教への熱い思いが出てくるであろうか。

 主は現会堂を豊かに祝してくださった。当時の教会員の信仰と犠牲を主は喜んでくださり,以前の会堂は3年ほどで満杯になってしまった。そこから借金を抱えながらも次の会堂への思いが与えられ,以後年々その必要性と求めは強まっていった。8年間は主の道が閉ざされ,教会員は祈り疲れ,「主よ。なぜ道を開いてくださらないのですか」と問うた。

 1995年,教会員と上棟式に臨んだ時,しみじみ思った。もし以前の祈りが聞かれていたら,この場所は与えられなかった,資金的に大変な思いをしたろう,まさに主のなさることには時があり,最善と。

 そして,この会堂を以前にもまして,豊かに用いてくださるとの信仰の裏付けとして,冒頭のみことばも,大黒柱の鉄柱にマジックインキで書き入れた。