きょうだい関係人間学Ⅰ

  8月16~18日にかけて蒜山バイブルキャンプで行われた中高生キャンプ、その恵みの一端を19日の主日礼拝で賛美と証しをもって分かち合いました。

 

 今回のキャンプにおける夜の集会メッセージでは、第一日目がきょうだい関係、二日目が親子関係について考えました。その時のきょうだい関係について、誌上でご紹介します。これは、主なる神様が与えて下さったきょうだい順が、互いにどのような人格形成に影響しているのかを知り、自分と同じように隣人を愛するための一助となればとの思いから語りました。

 

 きょうだい関係人間学の一般論を記します。

  人は誰もが「一人っ子」か「末子」として生まれます。「一人っ子」は、その後、弟・妹が生まれた場合「長子」に、生まれなかった場合はそのまま「一人っ子」になります。「末子」は、その後、弟・妹が生まれた場合「中間子」に、生まれなかった場合は、そのまま「末子」となります。「長子」、「中間子」、「末子」、「一人っ子」の割合は、3:1:3:3と言われています。

 

「長子」の性格と行動パターン

 長子の特徴を最も端的に表すキーワードは、「責任感」です。初めての子に対して、周囲の大きな期待が長子に集まります。それに応えようと、一生懸命努力して育ちます。両親と祖父母たちから「偉いね」「スゴイね」と言葉をかけられるわけですから、頑張らないわけにはいきません。

  また、弟や妹が出来た後には、きょうだいのリーダーとしての役割が与えられ、その任務を誠実にこなそうとします。こうして、自然と「責任感」がついてきます。そして、責任感は、成長してからも遺憾なく発揮されます。

  言われたこと、頼まれたことはきちんとやり通すことから、学級委員やクラブの部長を経験した人も多いはずです。きょうだいの世話を焼くことで、親の信頼を勝ち取った長子は、人の面倒を見ることが好きになります。同時に、人から甘えられる優越感や心地良さを覚えます。

  こうして、面倒見のいい親分肌、仕切り屋、教えたがりという特徴が出来上がります。

  きょうだいが出来るまでは、長子の行動には、とかく監視の目が向けられます。だから、軽はずみな行動はとりにくく、自然に、慎重で思慮深さが身に付きます。そして、ルールや規則、人からどう見られているかという評価を重視するようになります。

  小さい頃から大人と接触する機会が多く、様々なやり取りを経験していることから、学校の先生や近所の人々など、大人とのやり取りがとても上手です。こうして、典型的「いい子」「優等生」タイプが多くなります。

  本当は、長子だって羽目を外したり、いたずらしたり、わがまま言ったり、親に思いっきり甘えてみたい。でも、そこをグッと我慢している子が多いものです。

  親や周囲からの評価が気になる長子にとって、褒められることは何よりも嬉しいことなのです。逆に、叱られるのは苦手。「余計なことをして叱られるぐらいなら、おとなしくいい子であり続ける方がずっと楽」。それが長子らしさです。

 

「中間子」の性格と行動パターン

 親は長子には手をかけ、末っ子は甘やかす傾向にあります。両者に比べ、中間子への親の関心は薄くなりがちですが、これは決して関心がないとか、愛情がないというわけではなく、単純に、上の子、下の子に気をかけすぎ、中間子にかける時間が少ないということです。

  中間子は、常に上を見て、下を見てきたため、何をするにも上のことを考え、下のことを考え、さらに親のことを考えます。こうした思考回路が幼児期に自然に作られたため、その場に即した「空気を読む行動」、「しなやかな立ち居振る舞い」を取ることが出来ます。

  中間子は、自然と人と人、グループとグループの間を取り持つ「調整役」となります。そのやり方に強引さがないところも、中間子の才能です。激しくぶつかることを避けながら、誰もが納得する形で決着をつけるよう心掛けているのです。

  中間子を語る上でのキーワードは、「共感性」です。他人の悲しみや苦しみ、痛み、喜びなどを自分のことのように感じられる能力で、この共感性が高いため、快活で、人当たりもソフトです。

  というわけで、どんな人とでも上手くやる「適応力」や「協調性」は、中間子の賜物です。

  じつは、中間子は「自由」「自立」という言葉が大好きです。幼い頃から放っておかれる解放感を知っている中間子は、自分の思うがままに生きていたいのです。ただし、自由気ままに生きたいわりには、内心自信がなく、些細なことで傷ついたり、疎外感を覚えたりする複雑さもあるようです。

 

 長子、中間子のみなさん、自分に当てはめてみた時いかがでしょうか。一般論として知ることは、自分を知り、他の人を理解するために用いられるのではないでしょうか。