牧師/野口富久(Noguchi Tomihisa)

わたし「笑点」が好きです!!  

 

 放送50周年を迎えた日本テレビ系の長寿演芸番組「笑点」の新司会者に、落語家の春風亭昇太が決まったことが、新聞で取り上げられました。たかがテレビの番組の司会者が代わったぐらいで、新聞だけでなく、テレビや週刊誌にも話題となるほど、当番組の人気ぶりが伝わってきます。

 

 私も主の日の疲れた頭をくつろがせ、リフレッシュしてくれる当番組をほぼ欠かさず見ています。その後、「サザエさん」続いて「真田丸」というのがパターンとなっています。

 

 実は、「笑点」を神学的に考えることが出来るのではないかと思っているのです。

というのは、第一に「笑点」というタイトルですが、これは番組開始当時ベストセラーとなっていた三浦綾子さんの「氷点」からいただいたというのは有名な話しです。

 

 

 第二に、キャラクターのユニークさとチームワークは、まさに教会形成の秘訣と同じです。今までの司会者だった、桂歌丸はさしずめ牧師。お題(質問)を通してメンバーたちの楽しい斬新な答えを引き出します。それを巧みな表現でコメントし次につなげるのは、まさに牧師の目指すところです。その右隣は三遊亭小遊三、この人は前科ネタ(もちろんキャラです)や、ちょっとアルファベットでGの次の答えで沸かせます。続いて三遊亭好楽、この人は自分の落語が売れないという自虐ネタ。

 

 さらに林屋木久扇、ボケた答えで沸かせます。その隣が春風亭昇太、独身ネタが持ち味。次に三遊亭圓楽、お題に一番早く手をあげ、時事ネタが見事です。そして林屋たい平、物真似やフナッシーのパフォーマンスが得意です。このようなキャラクターのユニークさとチームワークは見終わった時、「あ~面白かった」という思いを与えてくれます。

 

 それぞれの個性を際立たせるために各人が、決まった色の着物を着ているのは、まるで戦隊もののようです。司会の歌丸は、まさに調整役にぴったりの深緑。小遊三は冷静な薄いブルー。好楽は人の良さをうかがわせるピンク。ボケ役木久扇はピッタリの黄色。独身が売りの昇太は白。一番頭が良さそうだが、性格が悪いと見られる圓楽は紫。明るいたい平は、オレンジ。うまく考えたものだなぁ~と感心します。

 

 第三に、良い答えには座布団が与えられ、10枚貯まると商品が出るので、いつ10枚になるかが観る人の気を誘います。10枚近くなると、司会者が難癖をつけ、なかなか10枚になりません。だからこそ、10枚になった時の喜びは、当人だけでなく観る者も同じ気持ちにさせられます。昨年、好楽が10枚になり、日本テレビの社員食堂永久使用券をもらい、弟子たち全員を連れて、食堂に行っていました。

 

 座布団が重要なポイントなので、座布団運びの山田隆夫にもスポットライトが当たります。彼はこの仕事だけで豪邸を建てたと言われています。

 ともあれ、どれだけ賜物を活用したかによって、報い(座布団)が与えられるのも、聖書と同じだと思いませんか。主は、私たちに与えて下さった、賜物を主のためにいかに有効に活用するか注目しておられます。

 

 「笑点」の神学的考察、いかがだったでしょうか。最後に、歌丸の次の司会者は圓楽が本命と言われていましたが、本人がメンバーのほうがいいと駄々をこねたため、消去法で昇太に決まったそうです。とはいえ、司会者によって、メンバーの個性は引き出されるため、昇太の司会ぶりに注目しています。

 

 

 

 

 

 

副牧師/中村 忍(Nakamura Shinobu)

熱中していること

 

 松原聖書教会副牧師の中村忍です。私の熱中しているものは自転車です。

 10代の頃からオートバイが大好きで、長年オートバイに乗り続けてきた私ですけれど、ある時、知人からもらったマウンテンバイクがきっかけで自転車の面白さを知ることになりました。自分で漕ぐという単純な乗る楽しみに惹きつけられたと同時に、もともと自動車修理の職人だった私にとっては自転車の無駄のないシンプルな造形にも魅せられるものがありまして、数年後には、知り合いの自転車屋でクロスカントリー用のマウンテンバイクを組み立ててもらったりするぐらい、かなり自転車にハマっていました。

 

 ただ、その後、忙しさの中で徐々に乗る機会が減っていき、しばらく乗っていない期間が続いたのですけれど、数年前に運動不足対策にと近年の自転車ブームにのっかりロードバイクを手に入れることで再び、私の中での自転車熱が燃え上ってしまいました。

 

 大阪と奈良の県境に信貴山という400mほどの山がありますけれど、休みの日にはよくその峠道を自転車で登りに出かけます。最大傾斜が12%ほどあるので、はじめの頃はペダルを漕いで登ることが出来ず、所々自転車から降りて押して登ったり、あまりのしんどさに途中で何度も休憩したりしていました。ところが何度もチャレンジするうちに、次第に途中で足を着くことがなくなり、休憩の回数も減ってきて、今では一度も足を着かずに、途中で休憩することもなく、峠を登り切れるようになりました。

 

漕げば漕ぐほど足が鍛えられて、今まで登れなかった上り坂が登れるようになったり、今まではとてもキツかった上り坂が楽にグイグイ登れるようになることは、とても快感です。

 

 信仰の歩みも似たようなところがあるかもしれません。神様は、私たちを人生の中で甘やかすのではなくて、私たちの信仰の足を鍛えられ、私たちの成長を喜ばれるお方です。私たちと共に生き、必要な助けを与えてくださるけれど、必要以上には手を出されない。それは、信仰の峠を主と共に登り切る喜びを私たちにも味わわせるためであることだと思います。

 

 時には立ち止まり、休憩する時があってもいいと思います。しかし、私たちの歩みを支えてくださる主に信頼しつつ、栄光の冠を目指して、人生の峠を一つずつ乗り越えて行きましょう。